「平野水(ひらのすい)」とは、兵庫県川西市の平野地区で採取され、1884年(明治17年)に商品化された天然の炭酸鉱泉水です。
平野水は、現在の「三ツ矢サイダー」の原点となった飲み物です。
当時の平野水は砂糖を加えていない炭酸水でした。その後、甘味や香りを加えたサイダーへと発展し、今も親しまれる三ツ矢サイダーにつながっています。
では、昔の平野水は現在も飲めるのでしょうか?
かつての平野水が当時と同じ商品として継続販売されていることは確認できません。一方、発祥の地である川西市平野には、歴史を伝える「三ツ矢塔」が今も残っています。
さらに、文豪・夏目漱石の作品にも平野水が登場するんです。
この記事では、川西市やアサヒ飲料の公式資料、夏目漱石の作品などをもとに、平野水の読み方・歴史・現在の状況をわかりやすく解説します。
平野水とは?読み方と三ツ矢サイダーとの関係
平野水を知るうえで、まず押さえておきたいのが、その読み方と三ツ矢サイダーとの関係です。
平野水は「ひらのすい」と読み、川西市の平野鉱泉をルーツとする天然炭酸水の商品名でした。
平野水の読み方は「ひらのすい」
平野水の読み方は「ひらのすい」です。
「ひらのみず」と読みたくなるかもしれませんが、アサヒ飲料のブランド史では「ひらのすい」とルビが振られています。
夏目漱石の『思ひ出す事など』や『行人』でも、「平野水」に「ひらのすい」という読み方が示されています。
ちなみに「平野」は、現在の兵庫県川西市にある地名です。
その地域から湧き出す鉱泉を飲み物として商品化したことから、「平野水」という名前が付けられました。
平野水は天然の炭酸鉱泉水だった
平野水は、もともと自然の鉱泉に含まれる炭酸ガスを利用した飲み物でした。
現在の甘いサイダーとは違い、発売当初の平野水には砂糖などの甘味料が加えられていませんでした。
川西市によると、当時の平野水は、ろ過された天然の鉱水を鉱泉中の炭酸ガスとともに瓶詰めしたものだったそうです。
また、アサヒ飲料が紹介する1882年の鉱泉分析資料には、独特のにおいや甘酸っぱさ、多少の刺激や渋みがあったことが記録されています。
今の三ツ矢サイダーのような甘く爽やかな飲み物とは、味わいも異なっていたと考えられますね。
平野水と現在の三ツ矢サイダーの違い
平野水と三ツ矢サイダーは、歴史的につながる飲み物ですが、同じものではありません。
| 比較 | 平野水 | 三ツ矢サイダー |
|---|---|---|
| 誕生 | 1884年 | 平野水から発展 |
| 甘味 | 発売当初は無糖 | 甘味を加えた炭酸飲料 |
| 特徴 | 天然炭酸鉱泉水 | 現代の製法による清涼飲料水 |
| 現在 | 当時の商品としての継続販売は未確認 | 現在も販売されている |
つまり、平野水は三ツ矢サイダーと同じ味の昔の商品ではなく、現在の三ツ矢サイダーへと発展する出発点だったということです。
平野水はどこで生まれた?川西市平野鉱泉の歴史
平野水が誕生したのは、現在の兵庫県川西市平野地区です。
この地域に湧く鉱泉が明治時代に飲料として商品化され、日本を代表する炭酸飲料ブランドのルーツになりました。
平野鉱泉と温泉地としての歴史
川西市平野地区には、古くから鉱泉が湧き出ていました。
アサヒ飲料の資料によると、平野では江戸時代の元禄年間に温泉街が形成され、旅館が立ち並ぶほどにぎわっていたそうです。
江戸時代の地誌『摂津名所図会』にも、平野の湯についての記述があります。
ただし、その後は火災や水害などの影響もあり、温泉街は衰退していきました。
そこから明治時代に入り、飲料用の鉱泉として新しい歴史が始まります。
ウィリアム・ガウランドが評価した平野鉱泉
1881年(明治14年)、イギリス人のウィリアム・ガウランドが平野鉱泉を評価しました。
アサヒ飲料のブランド史では、ガウランドが平野の鉱泉を「理想的な鉱泉」と称賛したと紹介しています。
その後、鉱泉の成分分析などが進められ、飲料としての商品化につながりました。
現在では当たり前のように炭酸飲料を買えますが、明治時代に地元の天然鉱泉が商品として世に出たことは、注目したい歴史の一つですね。
1884年に平野水が商品化された
1884年(明治17年)、平野鉱泉の水が「平野水」として商品化されました。
これが、アサヒ飲料が三ツ矢ブランドの始まりとしている年です。
初期の事業は、のちに三菱社、明治屋、川久保平野礦泉所などへ引き継がれていきました。
1884年に明治屋が最初から発売したという説明は、アサヒ飲料のブランド史に記載された事業の変遷とは一致しません。
また、1897年には宮内省御用達品として採用されたことも記録されています。
このように平野水は、長い時間をかけて飲料ブランドとしての基盤を築いていったのです。
平野水から三ツ矢サイダーが生まれるまで
現在の三ツ矢サイダーは、最初から今の味だったわけではありません。
無糖の平野水に甘味や香りを加えた商品が登場し、現在の三ツ矢サイダーへと発展していきました。
1907年に甘い「平野シャンペンサイダー」が登場
大きな転機となったのが、1907年(明治40年)です。
川西市の公式資料では、この年に「平野シャンペンサイダー」が発売されたと紹介されています。
アサヒ飲料のブランド史でも、1907年に「三ツ矢印平野シャンペンサイダー」が発売されたことが記載されています。
それまでの平野水とは異なり、砂糖やクエン酸などを加えた甘い炭酸飲料だったのが特徴です。
なお、アサヒ飲料の別のブランド史資料では「三ツ矢シャンペンサイダー」の発売年を1909年と記した箇所もあり、当時の商品名や発売時期には資料間で表記の違いが見られます。
この記事では、川西市の説明とアサヒ飲料の初期ブランド史に沿って、1907年を甘味付きサイダー登場の節目として扱っています。
当時のサイダーは高級な飲み物だった
現在は気軽に購入できる三ツ矢サイダーですが、登場した当時は高価な飲み物でした。
川西市の資料によると、平野シャンペンサイダーは、そばが3銭の時代に10銭という価格だったそうです。
こうして比較すると、当時のサイダーが気軽に飲めるものではなかったことが伝わってきますね。
その後、需要の増加とともに製造設備が拡張され、販売規模も大きくなっていきました。
三ツ矢サイダーという名前になったのはいつ?
平野水から発展した商品は、その後も名称や製法を変えていきました。
アサヒ飲料のブランド史によると、1968年(昭和43年)に「三ツ矢サイダー」という名称になっています。
つまり、1884年は三ツ矢ブランドの起点、1968年は現在の名称になった年という違いがあります。
普段何気なく飲んでいる三ツ矢サイダーに、これほど長い歴史があるとは驚きですね。
平野工場は1954年に製造を終了
製造量の増加に伴い、平野工場では設備の拡張が難しくなっていきました。
川西市の公式資料によると、西宮の工場へ設備を移すなどして、平野での製造規模は徐々に縮小されました。
そして1954年(昭和29年)、平野地区での炭酸飲料水の製造が終了しています。
現在の三ツ矢サイダーの生産が、昔と同じ平野鉱泉の工場で続いているわけではありません。
平野水は現在も飲める?販売状況と現地の様子
平野水の歴史を知ると、やっぱり気になるのが「今でも飲めるの?」という疑問ではないでしょうか。
かつての平野水が当時と同じ商品として継続販売されていることは確認できませんが、発祥地には歴史を伝える施設や遺構が残っています。
昔の平野水は現在も販売されている?
かつて商品化された平野水は、現在の三ツ矢サイダーにつながる歴史的な商品です。
今回確認した川西市とアサヒ飲料の資料では、当時の平野水が同じ商品として継続販売されていることは確認できませんでした。
ただし、これは今後の復刻商品や期間限定商品の発売を否定するものではありません。
「平野水の復刻版がいつでも購入できる」「現地で昔の鉱泉を自由に飲める」といった情報は、確認できていないため注意してください。
最新の販売情報は、アサヒ飲料の公式サイトで確認するのがおすすめです。
三ツ矢サイダー発祥の地に残る「三ツ矢塔」
平野水の歴史を感じられる場所が、川西市平野地区に残る「三ツ矢塔」です。
三ツ矢塔は、かつてこの地で炭酸飲料が製造されていたことを伝える遺構です。
川西市によると、現在の塔は工場跡地に移設・復元されたものです。

三ツ矢塔の所在地は、兵庫県川西市平野3丁目23です。
能勢電鉄の平野駅から北へ約400メートルが、川西市の案内するアクセスの目安です。
三ツ矢塔は外から見ることができますが、敷地内には入れないと川西市が案内しています。
現地を訪れる際は、敷地の外から見学し、周辺の通行や近隣の方に配慮しましょう。
三ツ矢記念館は現在も見学できる?
平野水について調べていると、「三ツ矢記念館」という名前を目にすることがあります。
三ツ矢記念館は、旧御料品製造所を改修して、2001年(平成13年)3月に開館した施設です。
しかし、川西市の公式案内によると、隣接する店舗の閉店に伴い、2004年12月21日から見学できなくなっています。
現在も通常の見学施設として利用できると考えて訪れるのは避けたほうがよいでしょう。
今後の公開状況や関連イベントについては、川西市の最新情報を確認してください。
川西市役所でも三ツ矢の歴史に触れられる
三ツ矢サイダーの歴史に興味がある方には、川西市役所の展示情報もおすすめです。
川西市では、市制70周年と三ツ矢サイダー誕生140周年を記念して寄贈された、三ツ矢塔周辺のジオラマや記念マンホールを紹介しています。
これらは川西市役所1階で展示されていると公式サイトに案内されています。
現地の工場跡地とあわせて見ると、三ツ矢サイダーと川西市のつながりがより身近に感じられそうですね。
展示内容や公開状況は変更される場合があるため、訪問前に市の案内を確認してください。
夏目漱石と平野水の関係|作品にも登場する炭酸水
平野水の歴史で、もう一つ注目したいのが文学との関係です。
実は、文豪・夏目漱石の作品にも平野水が登場します。
夏目漱石の『思ひ出す事など』と『行人』には、平野水を飲む場面が実際に書かれています。
『思ひ出す事など』に登場する平野水
夏目漱石の随筆『思ひ出す事など』は、病気療養の経験を振り返った作品です。
その中で、漱石は平野水を少しずつ飲んだ体験を書いています。
作品には、平野水が食道から胃へ落ちていく感覚について、「心持は痛快であった」という印象的な表現が登場します。
当時の漱石が、渇きを感じながら平野水を口にしていた様子が伝わる一節です。
ただし、この記述は療養中の個人的な体験を表したものです。
平野水に胃の病気を治す効果があったことを証明する記録ではありません。
平野水が漱石の療養生活の中に登場したこと自体が、興味深い歴史資料といえますね。
小説『行人』にも平野水が登場する
平野水は、漱石の小説『行人』にも登場します。
作中では、お兼という人物が、平野水とコップを盆に載せて運んでくる場面があります。
ここでは平野水が、登場人物の生活の中にある飲み物として描かれています。
療養の記録だけでなく、小説にも自然に登場することから、平野水という商品が当時の社会で知られていた様子をうかがえます。
なお、小説の描写と漱石本人の実体験は、区別して読む必要があります。
宮沢賢治とサイダーの逸話は平野水の話?
夏目漱石と並んで、宮沢賢治もサイダーに関係する人物として紹介されることがあります。
アサヒ飲料のブランド史には、宮沢賢治が教師時代に教え子たちへサイダーを振る舞ったという逸話が記載されています。
当時のサイダーが、天ぷらそばよりも高い飲み物だったという紹介もあります。
ただし、ここで注意したいのが商品名です。
宮沢賢治が「平野水」という商品を愛飲していたと断定することはできません。
宮沢賢治とサイダーの逸話は、当時の炭酸飲料文化を知るエピソードとして捉えるのが適切です。
三ツ矢サイダーの名前とマークは源満仲の伝説が由来?
三ツ矢サイダーの名前には、川西市に伝わる古い物語も関わっています。
「三ツ矢」の名前や矢羽根のマークは、源満仲にまつわる地域の伝承に由来するとされています。
源満仲と三ツ矢の伝説
川西市には、清和源氏にゆかりのある歴史や伝承が残っています。
その中でもよく知られるのが、源満仲と三本の矢に関する物語です。
川西市の公式解説によると、満仲が城を築く場所を決めるために矢を放ち、その矢を探し当てた人物に「三ツ矢」の姓と三本の矢羽根の紋を与えたと伝えられています。
この伝承が、三ツ矢ブランドの名前やマークの由来として取り入れられました。
なお、この物語は地域に伝わる伝承であり、実際に起きた歴史的事実として証明されているわけではありません。
鷹狩りで見つけた霊泉の伝説
源満仲には、平野の鉱泉にまつわる別の伝説も残っています。
それが、鷹狩りの際に霊泉を発見したという物語です。
川西市の説明でも、源満仲が鷹狩りの際に見つけた霊泉が、平野の天然鉱泉だったと伝えられていることが紹介されています。
古くから特別な水として語り継がれてきたことが感じられますね。
ただし、鉱泉の発見についても伝承の範囲であり、史実として断定することはできません。
三ツ矢マークの矢羽根と泡の意味
三ツ矢サイダーのマークに使われる矢羽根にも、地域の伝説が反映されています。
川西市によると、三本の矢羽根は、源満仲の伝説に由来しています。
さらに、ラベルに描かれる9つの泡も、伝承に登場する九頭の龍にちなんだものと説明されています。
普段見慣れたブランドのマークにも、川西市に伝わる物語が込められているんですね。
平野水についてよくある質問
最後に、平野水について特に気になる疑問をまとめました。
平野水の正しい読み方は?
「ひらのすい」です。アサヒ飲料の資料や夏目漱石の作品に、その読み方が確認できます。
平野水は日本初のサイダーなの?
川西市の公式資料には、平野水が日本初のサイダーとされる旨の説明があります。
ただし、当初の平野水は甘味料を加えていない天然炭酸鉱泉水でした。
現代の甘いサイダーと同じものが1884年に発売された、という意味ではありません。
三ツ矢サイダーのブランド史が1884年に始まったと理解するとわかりやすいでしょう。
平野水は今でも飲める?
当時の平野水が同じ商品として継続販売されていることは確認できません。
また、平野地区の鉱泉を一般の人が自由に採水・飲用できるという公式案内も確認できませんでした。
復刻品や限定商品の最新情報については、メーカーの発表を確認してください。
三ツ矢記念館は現在も開いている?
川西市の公式案内では、2004年12月21日から見学できなくなったとされています。
現在の通常公開は確認できないため、見学を目的に訪れる場合は、事前に川西市へ確認してください。
平野水と夏目漱石にはどんな関係がある?
夏目漱石の随筆『思ひ出す事など』や小説『行人』に平野水が登場します。
特に『思ひ出す事など』には、療養中に平野水を飲んだ様子が記されています。
三ツ矢塔はどこにある?
兵庫県川西市平野3丁目23にあります。
能勢電鉄平野駅から北へ約400メートルです。
塔は外から見学できますが、敷地内への立ち入りはできません。
まとめ|平野水は川西市から生まれた三ツ矢サイダーの原点
平野水は、1884年に川西市平野で商品化され、現在の三ツ矢サイダーへとつながった天然炭酸鉱泉水です。
今回紹介した歴史を振り返ると、平野水にはいくつもの興味深い特徴があります。
- 読み方は「ひらのすい」
- 兵庫県川西市の平野鉱泉から生まれた
- 1884年に無糖の炭酸鉱泉水として商品化された
- 甘味付きのサイダーへと発展した
- 夏目漱石の作品にも登場している
- 源満仲の伝説が三ツ矢の名前やマークの由来となった
- 現在も川西市平野に三ツ矢塔が残っている
普段何気なく飲んでいる三ツ矢サイダーにも、川西市の歴史や文化との深いつながりがあるんですね。
昔の平野水と現在の三ツ矢サイダーでは味も製法も異なりますが、長い年月を経てブランドが受け継がれてきたことは変わりません。
川西市平野を訪れる機会があれば、発祥の地に残る三ツ矢塔にも注目してみてください。
きっと、いつもの三ツ矢サイダーが少し違って見えるはずですよ。
参考資料・出典
この記事は、川西市・アサヒ飲料の公開資料、および夏目漱石の作品をもとに作成しています。史実と伝承は区別して記載しています。
- 川西市「三ツ矢サイダー発祥の地川西」:平野水の商品化、三ツ矢の伝説、工場の歴史、三ツ矢塔の現状。
- 川西市「平野鉱泉」:平野鉱泉の歴史、三ツ矢記念館の開館と見学休止について。
- アサヒ飲料「ブランド史/三ツ矢『平野水の商品化と三ツ矢ブランドの始まり』」(PDF):1884年の商品化、読み方、鉱泉分析、初期の事業主体について。
- アサヒ飲料「ブランド史/三ツ矢『増産と三ツ矢サイダーの躍進』」(PDF):商品発展の経緯、夏目漱石と宮沢賢治に関する記述。
- 国立国会図書館「『思ひ出す事など:附・二百十日』書誌情報」:夏目漱石の著作およびデジタル化資料の案内。
- 青空文庫「夏目漱石『思い出す事など』」:療養中に平野水を飲む場面の原文確認。
- 青空文庫「夏目漱石『行人』」:平野水が登場する小説本文の確認。
- 川西市「70周年記念マンホールと三ツ矢の塔のジオラマを展示しています」:三ツ矢関連展示の案内。
- 川西市「景観ビューポイントマップ」:三ツ矢塔の所在地。